先物取引の歴史

先物取引の歴史

先物取引の歴史についてご紹介しましょう。

オプション取引とは切っても切り離せないくらい密接な関係にあるので・・。

経済活動になくてはならない先物取引ですが、
一般に「先物取引=怖い」という
イメージしかもたれていないことが残念です。

では、なぜ、先物取引は、経済活動になくてはならないのでしょうか?

先物取引は、売り手と買い手が決められた期日に、
ある商品を今の時点で成立した価格で受け渡すことを約束する取引です。

たとえば、商品の生産者である農家が豊作を予想したとき、
価格の下落を恐れ、現在の価格水準で利益を確保したいと考えて
先物を売るのです。

予想通り豊作で価格が、下落した場合、商品からの利益は少なくな
りますが、その分売っていた先物が利益を上げてくれます。

さて、なぜ、このような先物取引が行われるようになったのでしょうか?

江戸時代は、年貢も米で納めていたように、
米が通貨同様の役割を果たしていました。

米が、日本経済そのものだったのです。

凶作になれば餓死するものが増えます。

豊作になれば円満にいくかと思えば、米の価値が下がるので
米価建てで給料をもらっていた
武士は貧困を極めることになるのです。

豊作・凶作にかかわらず米の価格を安定させるために
先物取引が必要だったのです。

そこで、 1730年代に米将軍とも呼ばれる、TVの時代劇「暴れん坊将軍」
でおなじみの8代将軍徳川吉宗の命を受けて
大岡越前守忠助が米の先物市場(帳合米取引)として
大阪「堂島米会所」を幕府公認のもと設立しました。

名奉行とされる大岡越前守忠助が、
作り上げた制度は非常に優れたもので、
現在の先物取引の骨格を網羅していました。

1848年に設立されたアメリカの
シカゴ商品取引所(CBOT)は、堂島米会所をモデルとしたほどです。

堂島米会所設立の100年くらいも前の1620年にはすでに、
大阪・堂島の豪商淀屋が先物取引場として、米市場を開設していましたが、
大岡越前守忠助が、幕府公認の大阪「堂島米会所」を設立したのです。

さて、世界に目を向けますと、 先物取引の始まりは
1620年に大阪・堂島に開設された米市場の100年くらいも前、
そして、今から約480年も遡ります。

1531年にベルギーのアントワープに世界初の商品取引所が開設され、
1568年にはロンドンのグレシャムに商品取引所が開設されました。

現在の先物取引市場では、
金融のグローバル化か進み、ありとあらゆる商品が上場しています。
世界の金融業界の発展に個々人が取り残されていかないように、
自ら学ぶ姿勢を忘れないようにしたいものですね♪



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